ゲーム・オーバー?

大抵の人には、死は決して楽しいテーマでも話題でもないでしょう。陰鬱、耐え難い、正真正銘場違いなもの、つまり葬儀場だけに相応しいもの。大抵の人は、自分が置かれている状況に浸かりきり、ただ快楽を追い求め、ワクワクしたり、満足感を与えてくれるものを追求し続けるだけです。一旦立ち止まり、こうした楽しみや満足がいつか終わりを告げるなどと、真剣に考えることを拒否します。

もし良識ある助言者が、死は私達のドアもノックするという事実を、真剣に考えるよう、説得し、強く呼びかけなければ、家族の死別はただただショックなだけでしょう。両親、妻や子供の突然の早過ぎる死は、人を全ての感覚が満たされていた夢のような状態から目覚めさせ、乱暴に人生の辛い局面に呼び覚まします。そして人はただ目を見開き、自問を始めます。どうして死なんかがあるの。人生や喜びを奪い取るこんな辛い別れ、避けられないの?

時に死の光景は、人々に深遠な思索や広大な疑問を投げかけます。生きる意味なんてあるの?かつて偉業を成し遂げた優秀な体が、今や横たわり冷たくなっている。感覚も生命もなく。ならば命の価値は?かつて喜びに煌めいていた瞳が、愛に輝いていた瞳が、今や永遠に閉じている。動きを奪われ、命を奪われ。こうした思索は決して抑えられることはありません。探究心に満ちた思索が、もし正しく追求されたならば、最後に明らかになるでしょう。至高の真実を受け入れることができる天賦の才が、人の心にはあると。

イスラームの考えでは、死は、遠ざけたり避けたりするテーマではありません。むしろ思い起こすことで、私達に肯定的な変化をもたらします。イスラームの書、クルアーンはこれについて言っています。

 

「人はすべて死を味わう。われは試練のために、凶事と吉事であなたがたを試みる。そして(最後は)われに帰されるのである。」クルアーン第21章35節

 

死を思い起こすことは、人に生きる目的を思い起こさせます。

Pin It on Pinterest

Share This